2005年10月12日

ケンカ終わりました

昨日のケンカの結果ですが・・・
昨日の記事を投稿した後、ちょっとだけスッキリして冷静になれたので、ふて寝していた奥様を起こして話をしました。
きっかけとなった事件については、2・30分でけりが付きました。
円満の仲直りではないけど、お互いに非があるということで、お互い反省するという事で終わりにしました。
でもその件から話は発展して、結局その後2時間近く話しをしてました。
昨日も書いたけど、僕は考えすぎるくらい考える人で、彼女は深く考えない人。
だから2時間もかかったのだと思います。
彼女に理解させるのにとにかく話は発展して、最後は愛についてなんてところまで話しましたね。

まぁそもそも、僕は純粋な愛なんて存在しないと思ってる人なんですけど。
あえてあるとしたら、親が子供を思う愛だけだろうと。
じゃあそれ以外はなんだと思ってるかというと、無意識の打算じゃないかと思ってます。
こう言うと、じゃあ奥様の事愛してないことになるけど、それも違います。
僕が言いたいのは、どんなに愛してるといってもギブ&テイクで、必ず何かが報われなければ、いつかは愛は冷めるという事です。
だからそうなりたくない人とは、理解し合おうとするし、その人に対して何かしら与えるわけです。
それを人は「愛してるからやるんだよ」って言うけど、そう言うなら何されても与え続けられるものでしょ?
でもいつか不満が出るという事は、それは無償の愛じゃなくて、有償の愛ということになりませんか。
つまり、無意識に打算的なものを持っているわけです。
だったら最初からそれを認めて、相手のためになるし、ひいては自分のためになりお互いがハッピーくらいに意識すればいいんですよ。
そしてそう打算するのは大事に思ってる相手だけだし。
それが愛と言われてるものの正体だと思います。
だってそれほど(奥様や子供達・親・兄弟ほど)大事に思ってない人には、先に自分から与えるばかりでお互いハッピーになるためだよなんて、考えないでしょう?

なぜこんな非難を受けそうな事書くかというと、昨日の話に戻って・・・
僕は奥様に「せめて家族の事だけでももう少し深く考えようよ」と提案したんです。
すると彼女は「こういう性格だから出来ない」と開き直りました。
僕は「じゃあ家族の事を愛してないの?」と聞きました。
(ここで愛という言葉を使ったのは分かりやすいから)
彼女は「もちろん愛してるよ」と言います。
僕は「じゃあ愛ってなんだと思う」とまた聞きました。
彼女は答えられませんでした。
そこで僕の愛に対する考えを伝えたのです。
もちろんもっと詳しく噛み砕いて。

つまり、愛してると言うなら、その行いが相手(僕or子供達)をハッピーにするかどうか位考えてからやれって事。
相手をあそこまで怒らせておいて、自分は何も悪くないなんてありえない。
怒ってした事は僕も悪い所はあった。それは認める。
でもそういう状態にしたのは、まぎれもなく彼女だ。
もう少し違う態度・言動なら僕もそこまで怒らなかったかもしれない。

この怒り状態になるまで僕は何回も我慢して注意してきました。
堪忍袋の緒が切れたって言うでしょ?
昨日はまさにそれだったのです。

結局奥様は、最後には僕の言い分に納得したと言うか、突っ込みどころがなくなって僕の提案(もっと考えること)に同意しました。
それで仲直りと言う事になりました。
僕にしてみれば、それさえ真剣に受け止めてくれれば、何も文句無い妻だと思ってますからね。

おかげで今日は、とても子供達の言動や行動を見て、褒めたり注意したりしてくれてました。
つまり、家族の事をよく見て、よく考えようとしてくれてると感じました。
それは今までと違って、僕の理想とする姿に大分近づいてました。
本来、愛についてこんなにも冷めた表現はしたくなかったけど、おかげで近いうち円満になるだろうと思います。
でも、もしまた繰り返すようなら彼女にそこまで期待するのは止めるだろうとも思います。
そして、それでも僕は、一般的な言い方をすれば、彼女を愛していくだろうとも思います。
posted by ぱぱん at 00:29| 群馬 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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